「ハレ」と「ケ」
日本には「ハレ」と「ケ」という世界観が存在します。
「ハレ」は儀礼や祝祭、年中行事など非日常の時空間、節目折目のことを指し、
「ケ」は日常の時空間、普段の生活、日々繰り返される暮らしのことを指します。
これは、昭和の民俗学者、柳田國男によって見出された概念です。
柳田は「ケ」の連続の中にまれに「ハレ」が現れることにより、人に昂奮がもたらされ、
生活に区切りがつき、暮らしにリズムが生まれると説いています。
このハレとケの循環の背景には、稲作を基盤とする日本人の基本的な生活がありました。
かつての人々は米の生産が順調に進むことを祈り、
豊作の際はその感謝の意を示すために、
お盆、正月、祭礼など節目となるハレの日に赤飯、おせち、餅など特別なものを用意しました。
手間をかけて神霊に捧げる特別な食べ物を作り、これを共に食すことで神霊と交わる。
そして酒を飲み、とっておきの晴れ着をまとう。
その循環が「ハレ」と「ケ」という世界観を生みました。
このように書くと、「ハレ」によってもたらされる幸福は華やかでわかりやすいものです。
しかし「ケ」が質素で寂しいものであるという訳ではありません。
わたしたちは、「ケ」つまり暮らしのなかにも豊かさも目指してきました。
暮らしの豊かさを見つめ直す
たとえば、寝具の生地にこだわったり。
日々、口にするものの素材にこだわったり。
調理道具をちゃんと選んだり。
また、景色の良い道を通勤路に選ぶこともきっとそうだと思います。
特別な日だけでなく、毎日の選択にもちょっとしたこだわりを持つ。
そうした当たり前の日々への思い入れが暮らしの豊かさを育んできました。
そして、世界が一変してしまったいま、
華やかさを失った日々のなかで、
これまでにないほど、当たり前に過ごしてきた生活と向き合う時間をわたしたちは過ごしています。
日々の道具に愛着を持つ
武蔵刃物が取り扱うのは、日本の伝統工芸の和包丁です。
すべて職人の手でつくられ、切れ味や丈夫さといった品質にこだわりがあります。
そして、手入れをすることで長く使っていただけるよう、研ぎやすさも考慮して設計されています。
包丁の手入れには馴染みがないひとも多いかもしれません。
しかし、手に馴染む感覚や愛着は、その道具と過ごす時間を経て育まれていくものです。
そうして時間をかけて得た手に慣れた感覚は、
「おいしいもの作りたい」「健康な食事をしたい」といった気持ちが宿る余地を心に生み、
食の豊かさにも通ずるものだと、私たちは考えます。
キッチンに入ったとき、見た目も使い心地も良い、馴染みある道具がそこにあれば、
日々の料理の時間がもっと豊かにある。
伝統工芸を日常に取り入れること。
そこで得られるものは単なる機能性だけではなく、生活の豊かさそのものだと私たちは思うのです。